多田健太郎

自己紹介

1992年から2002年まで、横浜市にある平野整骨院(平野カイロプラクティック)で、平野肇一先生を師事し、修行させていただきました。(現在も勉強させて頂いております)
2002年に東京都中央区入船で多田治療院を開業し、その後中央区新富に移転し現在に至ります。
取得資格:厚生省認可国家資格、鍼灸師、あんま、マッサージ、指圧師

多田治療院開院のきっかけ

現在の職につながる原体験

自分の人生で2回、体について考えるタイミングがありました。

ひとつは、小学生のときです。小学生の私は偏頭痛がひどく、病院で何度診断を受けても原因がわかりませんでした。

あるとき、カイロプラクティックで有名な先生がおり、治療してもらう機会がありました。

全く偶然の出会いだったのですが、治療をしてもらうと、長年悩まされてきた頭痛が回復していきました。

通常の病院では、診断した数値に異常がないことから、片頭痛の原因は精神的なことなのではないかと疑われたりもしたにもかかわらずです。

誰にも原因がわからなかったことが解決したという体験が、カイロプラクティックの可能性を感じるきっかけになっています。

そこから常に頭の中には、その経験がありました。

二つ目の機会は学生時代です。

学生時代は、スポーツをやっていたのですが、なかなか自分が思うようにならないという経験をしました。

線が細かったので太れと言われて、部内で1番食べる大食いになったにも関わらず太らない。

その上、怪我もたくさんする。なぜだろうという疑問がわき続けました。この疑問が今の仕事につながっています。

もともと身体に関心があったこともあり、現在でも、このような疑問が強く仕事のモチベーションになっています。

骨折を4回したのをはじめ、怪我をたくさんする中で、栄養にも興味をもち勉強していくなどしていきました。

このときの、「なぜだろう」という疑問は、この仕事へのエネルギーになっています。

カイロプラクティックを学び始めた当初は、「これを継続してやってみよう。とりあえず10年はやろう」と考え、はじめました。

そこから10年経つ頃には、この仕事どっぷりとはまってしまっていました。

修行で身につけたこと

平野整骨院での修行が始まりました。なんでこんなにきついのにやらなくてはいけないのかと考えたことも何回もありました。

しかしあるとき、この厳しさの意味に気づきました。師匠の技術はもちろん、師匠がお金を使い足を運んだ最新の知識を、自分はお金をもらいながら学んでいるんだと、その修行の価値に気づきました。

「勉強させていただきながら、お金がもらえる」

だなんて、今思うと、きつすぎて納得するために考えたことなのかもと思いますが、師匠が常に学び、得てきたものを教われるという環境の素晴らしさが、修行時代を乗り越えることに繋がったと思います。

師匠は、独立するのは許可制だったのですが、その後無事に独立の許可もおり、開院することができました。

どこで開院するかは、都内の商店街などを徹底的にまわり、最終的には電車を降りた駅の雰囲気が一番良かった、この場所に決めました。

地域とのつながりも得ながら、患者さんへの思いに応えるべく、毎日仕事をしています。

 

宝町駅、八丁堀駅、新富町駅が最寄り駅になります。

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